外国にも浸透している日本文化

普段は気に求めることはないが、ふと今日、将軍のモチーフが海外オンラインカジノでも人気が高まっているパチスロに起用されているのを見て、「はて、暴れん坊将軍って一体何なんだろう」

と小さい頃から暴れん坊将軍のことは知っているし、それに数年前マツケンサンバでも有名になって、主演の松平健さんのことももちろん認識しているが、暴れん坊将軍がなんなのか、内容も知らなければ中身も知らない。

調べた所、

「江戸幕府の第8代将軍・徳川吉宗が、町火消“め組”に居候する貧乏旗本の三男坊・徳田新之助に姿を変え、市井(しせい)へ出て江戸町民と交流しながら、世にはびこる悪を斬る勧善懲悪ものである。」

と記されていた。

なんと第8代将軍・徳川吉宗というと実在していた人物ではないか。

マツケンサンバのイメージが強かったためか、てっきりフィクションだと思っていました。笑

将軍になるまで苦労していた吉宗。紀州の藩主の子ではあったが母親はかなり身分が低く、吉宗も四男坊だった為、当時は全然期待はされていなかったがお兄さん達が思いがけず早くなくなり、紀州藩主の座が転がり込んで来てから人生が一変するのです。財政立て直しに励み、身分によらないで人々の悩みを募集。

やがて江戸幕府7代将軍家継が病没した時、後継がいないということで吉宗に白羽の矢が立ち、晴れて江戸幕府8代目将軍に就任したということだったのです。

それから最初に始めたのが享保の改革で赤字体制だった幕府財政を立て直す。

新井デフレを直し、より広く世間の意見を募集するため、目安箱となるものを設置、他にも成果は目白押しで、例えば足高の制は低い身分でも責任の重い役職につけばちゃんとその分の給料を保障する。など庶民のヒーロー的存在だったのです。

てっきり暴れん坊将軍と聞くと、手に負えないくらい暴れ回っていた少し暴力的なイメージがあったのですが、調べて見たらこんなに世のため人のために活躍していた将軍だとは知りませんでした。

それから滿66歳でなくなった吉宗。

現在、暴れん坊将軍としられ、今日私が見かけたパチスロをはじめイメージはマツケンですが色々なところで起用されています。

ふと気になった事だが調べて見て損はしなかった。

これからも何か気になれば調べるようにしよう。